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【読書感想】ハンス・ロスリング自伝ーその2

Gapminder のサイトのトップに掲載されているビデオにも「動く統計」誕生の経過が語られている。

youtu.be

頭の固い学生たちに理解させるためにロスリング教授はグラフを作った。

f:id:yukarihane:20181110183314p:plain上記ビデオより

 

1998年9月、息子夫婦が実家を訪れ、食卓を囲んだ。 

彼らは23歳。息子の妻アンナは文化社会学を学んだ後、写真大学に入学していた。

息子のオーラは経済史の勉強をしていたが、その理由はもっぱら勉学手当(*)をもらうためで、その金で絵の具を買い、美術大学への入学を目指していた。じつは2年連続、僅差で不合格だったのだが。
(*)スウェーデンの高等教育は無償の上に、学生は給付金を受けられる。

 

デザートの時間になった頃、ロスリングは授業で使っている自作のグラフを見せた。

息子夫婦はそれに興味を持ち、ヨーテボリの自宅に持ち帰った。壁に貼っていたので、彼らの若い友人たちもそのグラフを目にすることができた。

 

二週間ほど経った1998年9月16日、オーラが父にメールを送った。

「アニメーション作成用コンピュータープログラムを学んでいるんだ。あと2ヵ月ほどで完全に理解できると思う。そうしたら、父さんのグラフを動かすことができるよ。興味ある?」

父はそっけなく答えた「ああ、面白そうだね」。息子が何を言っているのか理解できないまま。

 

その数週間後、息子から電話で「グラフ上の円形群が動くようになった。それを年単位で表すにはもっと高性能のコンピューターが必要だ。だから、お金を貸してほしい」との要請があった。

 

父にはコンピュータのプログラムが理解できない。だがそれ以上に父の目には、芸術家を目指してフラフラしている息子が金の無心をしているように思えた。芸術家をこころざす以上、経済上の問題は自分で解決してもらわねば。父の答えは NEJ だった。

 

ここで私がビックリしたのは、当時オーラが使っていたコンピューターが父のお古で、12年前に製造されたものだったこと。パソコン関係の技術革新が日進月歩だった1998年に、12年前の古いマシンでアニメが作れたって、すごい技術の持ち主だ…。

 

しかしオーラは諦めなかった。友人から分割払いでコンピューターを買い、プログラムを学び、クリスマス休暇に父に自分の作品を見せることができた。動く統計を目にしたロスリングは、このうえなく驚いた。

 

この新しい“道具”が、「大学でしか講演したことがない」「コペンハーゲンより遠くで講義したことがない」ロスリングを、ジュネーブやダボスへ連れて行くことになった。

 

2006年、ロスリングの初TED講演の後、グーグルの創始者ラリー・ペイジが話しかけてきた(上のビデオによると、ペイジはロスリングに「コードを書いたのは誰?」と質問したらしい。目の前の“おっさん”があのプログラムを作ったとは、はなから思っていなかったようだ)。

それがきっかけとなって、オーラとアンナはシアトルのグーグルで数年間働くことになる。

 

芸術家を目指して試行錯誤していた若者が、やっと自分に合う表現方法を見つけ、夢中になってコーンピュータープログラムを学ぶ。1998年秋のオーラの姿を、私はそんなふうに想像する。

 

ロスリングは68歳で亡くなったが、なんて幸せな人生だったのだろうと、私には思えてならない。若くして結婚した妻は看護師免許を取り、彼に付いてアフリカで治療活動に従事し、最後まで彼に寄り添った。晩年のロスリングは息子夫婦と一緒にエキサイティングなプロジェクトにのめり込んだ。自分も家族も、与えられた才能を生かす仕事に就いている。これ以上、幸せなことがあるだろうか?

 

ロスリングの自伝については、モザンビーク赴任時代の「若きハンス医師の苦悩」や、「スウェーデンの教育とキャリア形成」に関しても書きたいのだが、それは別の機会に。

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