Hanes fik

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【読書感想】ハンス・ロスリング自伝ーその3

1979年10月、ハンス・ロスリング医師はモザンビークの町ナカラの病院に赴任した。助産師の妻とふたりの子どもも一緒に。手元にある資料から逆算すると、当時ロスリングは31歳、息子のオーラは4歳。お姉さんのアンナは6歳くらいか? 

 

こんなに幼い子どもたちを連れ、夫と共にアフリカへ赴任したロスリング夫人アグネータは尊敬に値する。しかもスウェーデン帰国後は医学部に入り、自分も医者になっているのだ。すごいとしかいいようがない。

 

さて、1979年アフリカの貧国の病院はどんな状態だったかというと…ないない尽くしなのだ。

自動車の数も足りないが、それに乗ったらとんでもない場所で故障したり事故を起こす。

スタッフは量も質も不足。看護の専門教育を受けてないどころか、その半数はそもそも字が読めない。

医薬品も足りない、器具も清潔なシーツも足りない。だが、傷病を負った人は次々押し寄せる。

前任のイタリア人医師は一週間で辞めたという。

 

ある日、モザンビークの他の病院に赴任したスウェーデン人医師が、ロスリングの病院を訪れた。話をしてみると、その友人医師が勤める病院のほうが人材も物資も恵まれているようだ。

そこへ、生後数か月の女児が運び込まれる。その赤ん坊に対するロスリングの処置を見た友人医師は怒った。
「医療倫理にもとる! それが自分の子どもだったら、そんな処置はしないだろう。医者は運びこまれた患者に対して常にベストを尽くすべきだ」

いいや、とロスリングは言う。この状態でそれをやったら、医療器具も薬品もすぐに枯渇し、医療スタッフは疲弊する。そうなったら、地域の医療に手が回らなくなる。多くの子どもがワクチン接種を受けられなくなり、小さな診療所の人手が不足する。その結果、乳幼児死亡率は上がるだろう。医者には、目の前にいる子どもの他に、自分には見えない子どもに対しても責任がある。

 

またある時には、難産の妊婦が病院に運び込まれた。胎児を殺さなければ、妊婦の子宮は破裂し、彼女は死んでしまうだろう。しかし、病院には充分な設備がない。ではどうするかというと…。

その対処方法を読んで愕然としたが、これが1980年前後のアフリカの貧国の現実なのだろう。

 

ロスリングが医師としてモザンビークに赴任したのは1979~1981年の2、3年間だが、毎日が困難との格闘だったようだ。

上記の乳児への処置については反論があるだろう。統計上の数字よりも、具体的に子どもを救うほうが重要ではないか、と。


ないない尽くしの環境の中で、モザンビークの現実に驚き、理想と現実の間で悩み、どうにかして解決策を見つけようと奮闘する若きハンス医師の姿がこの章に描かれている。